増上寺:徳川家が築いた「勝運の寺」が東京タワーと並び立つ理由

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増上寺:徳川家が築いた「勝運の寺」が東京タワーと並び立つ理由
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添乗員ライターがお届けする旅行情報。今回は東京都港区芝公園に鎮座する浄土宗大本山・増上寺を深掘りします。東京タワーを目の前に、600年の歴史を重ねてきたこの寺院は、六人の徳川将軍が眠る墓所を擁し、勝運を招く秘仏「黒本尊」で知られる、都内屈指のパワースポットでもあります。観光地としての側面だけでなく、戦国から江戸、明治、そして現代へと続く重層的な歴史の舞台として、訪れるたびに新たな発見のある場所です。

項目内容
正式名称三縁山広度院 増上寺
宗旨・寺格浄土宗 大本山
ご本尊阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)
住所〒105-0011 東京都港区芝公園4-7-35
拝観時間境内自由(24時間)/大殿内:6:00〜17:30
定休日なし
アクセス都営地下鉄三田線「御成門駅」徒歩3分、「芝公園駅」徒歩3分/都営浅草線・大江戸線「大門駅」徒歩5分/JR・東京モノレール「浜松町駅」徒歩10分
目次

境内の広さに注意~増上寺は「回遊するお寺」です

東京タワーから見た増上寺
東京タワーから見た増上寺

増上寺を初めて訪れる方が戸惑いやすいのが、その境内の広さです。大門をくぐってから三解脱門を抜け、大殿へ至るまでの参道距離はおよそ108間(約196m)。三門から大殿まではおよそ48間(約87m)あり、複数の堂宇が点在しています。目的の建物を把握せずに訪れると、宝物展示室や徳川将軍家墓所などを見逃してしまうことがあります。境内マップを事前に確認したうえで、見どころを計画的に回ることで、訪問の満足度が格段に上がります。

室町時代に生まれ、家康公の庇護で大寺院へ~増上寺600年の歩み

増上寺の徳川将軍家墓所
増上寺の徳川将軍家墓所

増上寺の歴史は、室町時代の明徳4年(1393年)に遡ります。浄土宗第八祖・酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって、武蔵国豊島郷貝塚(現在の千代田区平河町から麹町周辺)の地に浄土宗正統根本念仏道場として開かれました。以来、関東における浄土宗教学の中心として発展し、戦国時代にかけて浄土宗東国の要として確固たる地位を築いていきます。

家康公との出会いが運命を変えた

増上寺の歴史が大きく転回するのは、安土桃山時代のことです。天正18年(1590年)、徳川家康公が関東の地を治めるようになり間もなく、当時の住職・源誉存応(げんよぞんのう)上人の法力に深く帰依した家康公が、増上寺を徳川家の菩提寺として選びました。

慶長3年(1598年)には現在の芝の地に移転。江戸幕府開設後の手厚い保護のもと、三解脱門(さんげだつもん)・経蔵・大殿の建立、三大蔵経の寄進があいつぎ、朝廷から存応上人へ「普光観智国師」号が下賜されるなど、急速な大隆盛へと向かっていきます。

家康公は元和2年(1616年)に75歳で薨去しますが、増上寺で葬儀を行うよう遺言を残しており、その遺志通りに葬儀が営まれました。その縁で増上寺は、以後も徳川将軍家と深いゆかりを結び続けることになります。

江戸時代の最盛期~「寺格百万石」の大寺院

浜松町から眺めた大門と増上寺
浜松町から眺めた大門と増上寺

江戸幕府の成立後、増上寺は飛躍的な発展を遂げました。全国の浄土宗宗務を統べる総録所が置かれ、関東十八檀林の筆頭として浄土宗の学問・修行の中枢を担います。寺所有の領地は一万余石、境内面積は25万坪(約82.6ha)に及び、坊中寺院48ヵ所・学寮百数十軒が甍(いらか)を連ね、常時3,000人もの修行僧が念仏を唱えていたと伝えられています。その威容は「寺格百万石」と称えられ、京都の知恩院に並ぶ存在感を示しました。

明治の試練と空襲からの復興

繁栄を誇った増上寺も、明治維新の波には抗えませんでした。明治初期には境内地が召し上げられ、神官養成機関が置かれる事態も生じます。明治6年(1873年)と同42年(1909年)の二度の大火では、大殿をはじめ多くの貴重な堂宇が焼失しました。それでも明治8年(1875年)に大本山に列せられ、伊藤博文公など新たな壇越(だんのつ)を迎えて復興の歩みを進めていきます。

昭和20年(1945年)の空襲は、大正期に再建された堂宇を再び灰燼に帰しました。しかし戦後、昭和27年(1952年)に仮本堂を設置。昭和46年(1971年)から約4年の歳月と35億円の大工事を経て、現在の壮麗な大殿(本堂)が再建されます。その後も昭和から平成にかけて堂宇の整備が続けられ、現在の増上寺の姿が形成されました。

ユネスコ「世界の記憶」にも登録された三大蔵

2026年現在、増上寺が新たに注目を集めているのが「三大蔵」のユネスコ「世界の記憶」国際登録です。増上寺が所蔵する大蔵経(仏教の経典全集)は、日本屈指の規模と文化的価値を持つとして国際的な評価を受けています。歴史的建造物の宝庫であるだけでなく、仏教文化の発信拠点としての役割も担う、まさに生きた文化財と言えるでしょう。

勝運を招く秘仏「黒本尊」~家康公が陣中に携えた阿弥陀如来

増上寺が「勝運の寺」として知られる最大の理由が、安国殿に祀られる秘仏「黒本尊(くろほんぞん)」の存在です。恵心僧都(えしんそうず)源信の作とも伝えられるこの阿弥陀如来像を、家康公は深く尊崇し、合戦の折には陣中にも奉持して勝利を祈願しました。

その名の由来は二つあります。一つは、長年にわたる香煙で御体が黒ずんでいること。もう一つは、人々の悪事や災難を一身に受け止めることで御体が黒くなったとも伝えられることです。いずれの説も家康公の命名によるものと言われています。家康公の薨去後に増上寺に奉納されて以来、勝運・災難除けの霊験あらたかな仏として、江戸時代から現代に至るまで広く庶民の信仰を集めています。

通常は秘仏として公開されていませんが、毎月15日の黒本尊祈願会(正五九の月は特別法要)には「御前立(おまえだち)」の仏像が開帳され、参拝が可能です。

見どころを深く知る~境内の主要スポット

大門(だいもん)

増上寺の大門
増上寺の大門

大門駅の駅名にもなっている「大門」は、増上寺の総門(表門)です。現在の門は昭和12年(1937年)に国道の拡幅整備に伴い、コンクリート造で原型より大きく造り直されたもので、港区指定有形文化財に指定されています。もとの大門は慶長3年(1598年)に増上寺が現在の芝に移転した際、家康公より江戸城の大手門として使われていた高麗門が寺の表門として下賜されたものでした。関東大震災後に回向院へ移築されましたが、昭和20年の空襲で焼失しています。大門から三解脱門までの距離は約108間(約196m)で、108の煩悩を払い清めながら歩む参道の起点となっています。

三解脱門(さんげだつもん)

増上寺の三解脱門
増上寺の三解脱門

大殿に向かう参道の途中に立つ三解脱門は、慶長16年(1611年)に幕府の助成のもと幕府大工頭・中井正清らによって建立され、元和8年(1622年)の再建を経た境内最古の建造物です。東京都内屈指の古い建造物として国の重要文化財に指定されています。「三解脱」とは煩悩から解脱した悟りを開くための三種の修行「空門・無相門・無願門」を指し、この門をくぐることで三つの煩悩から解き放たれるとされます。大門からここまで約108間(約196m)で、108の煩悩を払い清めながら歩む仕掛けとなっています。なお、令和7年(2025年)1月より令和14年(2032年)6月まで保存修理工事中のため、外観が一部覆われた状態での参観となります。

黒門(旧方丈門)

増上寺の黒門(旧方丈門)
増上寺の黒門(旧方丈門)

日比谷通り沿いに現存する黒門(正式名称・旧方丈門)は、3代将軍家光公の寄進によって慶安年間(1648〜1652年)に建立されたと伝えられる四脚門です。高さ約8mの切妻造本瓦葺で、黒漆塗りであったことから「黒門」の通称で親しまれています。もとは現在の御成門交差点付近にあった方丈(大僧正の居所)の表門で、将軍参詣の際には召し換えや謁見の場としても使われた格式高い門でした。明治以降に境内各所を転々と移築され、昭和55年(1980年)に現在の位置へ落ち着きました。戦火を逃れた数少ない江戸期建造物のひとつとして、港区指定有形文化財に指定されています。

旧台徳院霊廟惣門(きゅうたいとくいんれいびょうそうもん)

増上寺の旧台徳院霊廟惣門
増上寺の旧台徳院霊廟惣門

ザ・プリンス パークタワー東京の敷地内に現存するこの門は、寛永9年(1632年)に3代将軍家光公が2代将軍秀忠公(台徳院)の霊廟を造営した際に建立した惣門です。国の重要文化財に指定されており、かつては日光東照宮をも凌ぐと称された壮麗な霊廟建築群のうち、戦災を免れた貴重な遺構です。霊廟本体の大部分は昭和20年の空襲で焼失しましたが、この惣門だけが往時の姿を今に伝えています。

有章院霊廟二天門(ゆうしょういんれいびょうにてんもん)

東京プリンスホテルの敷地内に現存する二天門は、8代将軍吉宗が享保2年(1717年)に7代将軍家継公(有章院)の霊廟として建立したものです。国の重要文化財に指定されており、門の両脇には仏法を守護する四天王のうち広目天(西方)と多聞天(北方)が祀られていることから「二天門」と呼ばれます。かつては隣接する文昭院霊廟(6代家宣公)の門に持国天と増長天が祀られており、2つの門あわせて四天王が揃う構成でした。霊廟本体は戦災で焼失しましたが、この門は保存修理工事を経て往時の色彩と意匠を取り戻しています。

大殿(本堂)

増上寺の本堂
増上寺の本堂

昭和49年(1974年)に再建された大殿は、一万六千坪(約5.3ha)の境内の中心に鎮座するRC造の宏大な建物です。ご本尊の阿弥陀如来を祀り、大殿に登る階段は25段(25菩薩を象徴)、参道から大殿前に至る階段は18段(阿弥陀仏の本願第18願を象徴)と、建物のいたるところに仏教的な数の意味が込められています。

宝物展示室(大殿地下1階)

徳川家康公の没後400年を記念して開設された宝物展示室には、増上寺所蔵の宝物とともに、常設展示として「台徳院殿霊廟模型」が展示されています。

台徳院殿霊廟は、2代将軍秀忠公の御霊屋として3代将軍家光公が1632年(寛永9年)に造営した壮大な建築群で、日光東照宮のプロトタイプとなった霊廟です。1930年(昭和5年)に国宝に指定されましたが、残念ながら空襲により焼失しています。

展示されている模型は、東京美術学校(現・東京藝術大学)が明治末期に制作したもので、縦4m×横6mの精巧な縮尺模型です。日英博覧会への出展後、英国王室コレクションの倉庫に長らく保管されていましたが、英国側の希望と日英文化交流の精神のもと、平成26年(2014年)に日本へ帰還。現在は本殿の屋根を外して極彩色の内部空間が鑑賞できるよう工夫展示されています。展示室前のラウンジでは模型に関するビデオも上映されています。

徳川将軍家墓所

大殿南側に位置する徳川将軍家墓所には、2代秀忠、6代家宣、7代家継、9代家重、12代家慶、14代家茂の6人の将軍と、その正室・側室・子女を含む計38名が眠っています。

中でも注目されるのが、14代家茂公の正室として嫁ぎながら、明治維新の動乱の中で皇女としての立場と妻としての立場に引き裂かれた悲劇の生涯を送った静寛院和宮様の宝塔です。菊の御紋章が刻まれた青銅製の宝塔は、将軍墓の石塔とは対照的に、明治以降に造られたことが一目でわかる趣を見せています。

墓所は入口の「鋳抜門(いぬきもん)」が特徴的で、元々は6代家宣公の墓前にあった鋳造の中門です。内部には各将軍の宝塔と大名寄進の石灯籠が配置され、かつての霊廟の荘厳さを今に伝えています。

東京タワーとの絶景~増上寺が「映える」理由

増上寺の本堂と東京タワー
増上寺の本堂と東京タワー

増上寺の大殿前広場から正面を見上げると、東京タワーが真正面に立つ、他では得られない唯一無二の光景が広がります。333mの電波塔と600年の歴史を刻む大伽藍が並立するこのアングルは、国内外の旅行者に広く知られ、東京を代表する風景のひとつです。

夕暮れ時には空の色が刻々と変化し、東京タワーに明かりが灯り始める時間帯には、荘厳な伽藍の輪郭と都会的な夜景が溶け合う幻想的な瞬間を楽しめます。初詣の時期には除夜の鐘とともに年越し参拝が可能で、大晦日から元日にかけては終日開門されます。

合わせて訪れたい周辺の観光スポット

東京タワー

増上寺から徒歩約3〜5分の距離にそびえる東京タワーは、昭和33年(1958年)竣工の地上333mの電波塔です。メインデッキ(高さ150m)とトップデッキ(高さ250m)からは360度のパノラマが広がり、天気の良い日には富士山を望むこともあります。増上寺参拝とセットで訪れる旅行者が多く、徒歩移動で両スポットを効率よく周遊できます。

芝公園

増上寺の門前に広がる芝公園は、日本最古の公園のひとつとして明治6年(1873年)に開設されました。増上寺の境内と一体化するように緑地が広がり、春には約200本の桜が咲き誇ります。芝丸山古墳(全長106mの前方後円墳)も公園内に残っており、東京の意外な古代史に触れることができます。

芝東照宮

増上寺の近傍に鎮座する芝東照宮は、元和3年(1617年)の創建で、徳川家康公を祭神とする神社です。増上寺で葬儀が執り行われた家康公の遺体は久能山へ移される前に当地に安置されたと伝えられており、増上寺との歴史的なつながりが深い場所です。境内には寛永18年(1641年)に植えられたとされる都指定天然記念物のイチョウの大木があります。

周辺のおすすめ宿泊施設

ザ・プリンス パークタワー東京

増上寺から徒歩約3分、芝公園内に立地するラグジュアリーホテルです。都営大江戸線赤羽橋駅から徒歩2分とアクセスも良好で、プリンスホテルズ&リゾーツのフラッグシップとして高い評価を受けています。全室から東京タワーや芝公園の緑を望める開放的な空間が特徴で、上層階のパノラミックフロアでは東京の眺望を独り占めできます。リニューアルされたクラブラウンジからは、時間帯ごとに移り変わる東京の空を、食事とドリンクとともに堪能することができます。増上寺への一番のアクセスと、東京タワーを目の前に臨む絶景という、他にはない立地を誇る宿泊先です。

ザ・プリンス パークタワー東京

ザ・プリンス パークタワー東京

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東京プリンスホテル

増上寺から徒歩約5分、御成門駅から徒歩1分という好立地に構える、1964年開業の伝統あるホテルです。東京タワーまで徒歩約3分という近さも魅力のひとつで、客室の窓から東京タワーを望めるお部屋も人気を集めています。和食・洋食・バーなど複数の飲食施設を擁し、落ち着いた雰囲気の中で都心での宿泊を楽しめます。プリンスホテルズ&リゾーツの系列ホテルとして、サービス品質の安定感も高く評価されています。

東京プリンスホテル

東京プリンスホテル

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芝パークホテル

増上寺から徒歩約7分、御成門駅から徒歩2分に位置する、昭和23年(1948年)創業の老舗ホテルです。リーガロイヤルホテルズグループの一員として品質管理が行き届いており、「銀座 蔦屋書店」がディレクションした2,000冊を超える書籍を揃えたライブラリーホテルとしてリニューアル。和・洋・中の3スタイルのレストランを同一の空間で楽しめるオールデイダイニング「ザ ダイニング」も充実しています。歴史ある芝の地にあって、都心のアクセス性と落ち着いた滞在環境を両立するホテルです。

芝パークホテル

芝パークホテル

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まとめ~時代を超えて息づく「勝運の寺」

夕方の増上寺と東京タワー
夕方の増上寺と東京タワー

増上寺は、単なる観光スポットではありません。室町時代の創建から現代に至る600年の歴史の中で、戦国の世を生き抜いた徳川家との深い絆を結び、江戸幕府の精神的支柱として機能し、そして明治の廃仏毀釈と戦火という二度の危機を乗り越えて今日に至ります。

境内を歩けば、大殿前で東京タワーと向き合う現代の都会の風景の中に、三解脱門の古材が刻む数百年の時間を感じることができます。六人の将軍が眠る墓所では、幕府政治の栄枯盛衰を静かに見つめてきた石灯籠たちが語りかけてくるような感覚を覚えます。そして黒本尊の前に立てば、家康公が陣中に携えた仏の霊威が、現代の訪問者にも変わらず届いていることを実感するでしょう。

増上寺周辺を観光拠点にするなら、境内から最も近く東京タワービューも楽しめるザ・プリンス パークタワー東京を拠点にすると、徒歩で増上寺、東京タワー、芝公園を効率よく周遊でき、都心観光の密度を高めることができます。

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