【割引情報あり】烏城・岡山城の深遠な歴史と烏城公園の魅力完全ガイド|宇喜多秀家が築いた黒漆の名城

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岡山県 岡山城
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添乗員ライターがお届けする旅行情報。今回は、岡山県が誇る歴史的名城・岡山城とその周辺を整備した烏城公園の魅力を徹底解説いたします。黒漆塗りの外観から「烏城(うじょう)」の別名で親しまれるこの城は、豊臣秀吉の寵愛を受けた宇喜多秀家が8年の歳月をかけて築き上げた傑作です。

2022年11月には令和の大改修を終えてリニューアルオープンし、岡山市出身の歴史学者・磯田道史氏の監修による新たな展示で、より深く歴史を体感できる施設へと生まれ変わりました。本記事では、岡山城の詳細な歴史、烏城公園の見どころ、そしてお得な割引情報までを網羅的にご紹介します。

目次

岡山城が抱える課題と訪問前の注意点

岡山城の正面
岡山城の正面

岡山城を訪れる際には、いくつか知っておくべきポイントがあります。まず烏城公園は無料で利用できますが、天守閣の入場は有料となっており、事前に料金や開館時間を確認する必要があります。また、烏城公園は広大な敷地を誇るため、すべての見どころを巡るには相応の時間が必要です。特に夏場は日差しが強く、歩きやすい靴と水分補給の準備が欠かせません。

公共交通機関を利用する場合、JR岡山駅から徒歩約20分、または路面電車で城下電停下車後徒歩約10分という距離があります。自動車でのアクセスの場合、烏城公園駐車場は観光シーズンやイベント開催日には混雑することがあり、早めの到着をおすすめします。

岡山烏城公園の駐車場
岡山烏城公園の駐車場

また、築城当時の天守は戦災で焼失しており、現在の天守は昭和41年に外観復元されたものです。完全なオリジナルではない点は理解しておく必要がありますが、それでもなお、その歴史的価値と建築美は圧倒的です。

戦国の覇者が築いた岡山城の波瀾万丈な歴史

岡山城の天守
岡山城の天守

宇喜多直家による石山城の築城と城下町形成の始まり

岡山城の歴史は、元亀元年(1570年)に遡ります。当時、備前国を統一しつつあった戦国武将・宇喜多直家が、金光宗高を討ち、この地を支配下に置きました。宇喜多直家は備前守護代・浦上氏の被官でありながら、備前西部を中心に急速に勢力を拡大していた野心的な武将でした。

天正元年(1573年)、直家はそれまでの居城である亀山城(別名沼城、現在の岡山県岡山市東区沼周辺、浮田小学校の東隣)から石山城(現在の石山公園周辺)に移り、大規模な城の改築と城下町の形成に着手しました。この時期の石山城は、東西に走る連郭式の縄張りであったと推定されています。

直家の戦略的手腕は城郭建築だけにとどまりませんでした。彼は北方の山裾にあった西国街道を城の南側に沿うように付け替え、城下町に導き入れたのです。これは織田信長が安土城を築城する3年前のことで、当時としては極めて先進的な都市計画でした。さらに備前福岡や備前西大寺といった商業地から商人を積極的に呼び寄せ、流通主導による経済振興策を展開しました。

この経済重視の政策は、直家が幼少期に備前福岡の商人に庇護を受けた経験が影響していると考えられています。水運に有利な旭川と岡山平野に目をつけた直家の先見の明は、後の岡山発展の礎となりました。

宇喜多秀家による近世城郭への大改修

天正9年(1581年)に宇喜多直家が病死すると、わずか8歳の嫡男・秀家が家督を継ぎました。若き秀家は織田信長から所領を安堵され、信長の死後は豊臣秀吉に従うことになります。秀吉の寵愛を受けた秀家は異例のスピード出世を遂げ、「秀」の一字を与えられて猶子となり、前田利家の娘で秀吉の養女・豪姫と結婚。26歳にして豊臣五大老に就任するという栄達を極めました。

天正18年から慶長2年(1590年〜1597年)にかけて、秀家は57万4千石の大大名にふさわしい城として、父・直家が築いた石山城を取り込む形で大規模な岡山城の築城を行いました。この8年間にわたる大事業は、豊臣秀吉の指導のもとで進められたとされています。

岡山城の天守の礎石
岡山城の天守の礎石

秀家は岡山の丘に新たな本丸を定め、石山城の本丸を二之丸内郭に、二之丸を西之丸とし、内堀を挟んで二之丸、その西に三之丸の郭を整備しました。本丸は本段、中の段、下の段に分かれた三段構造で、本段の北寄りに金箔瓦を使用した壮麗な四重六階の望楼型天守を建設しました。

特筆すべきは、天守が不等辺五角形という全国的にも珍しい独特の形状をしていることです。織田信長の安土城天守を模して築かれたと伝えられ、黒漆塗りの下見板で覆われた外観は太陽の光を受けると烏の羽のように重厚な輝きを放つことから、「烏城」の別名が生まれました。

また、金箔瓦が葺かれていたことから「金烏城」とも呼ばれました。黒漆と金箔瓦は織田信長と豊臣秀吉が限られた城にのみ使用を許可したステータスシンボルで、岡山城がいかに特別な城であったかを物語っています。

烏城公園と岡山城
烏城公園と岡山城

秀家は本丸東側の守りが薄い構造を補うため、旭川本流を城郭の北から東側に極端に寄り添わせる形に付け替え、天然の堀として活用しました。ただし、この大胆な河川改修は後に城下町に洪水を多発させる原因となり、やがて放水路としての百間川の整備につながることになります。

城を南から取り巻くように西国往来の道筋を変更し、直家時代の城下町をさらに拡大整備。領内の有力商人を勧誘して経済活動を発展させる政策も継続しました。こうして「岡山城」「岡山」の呼称が定着し、現在の岡山市の原型が形成されたのです。

岡山城は豊臣秀吉の大坂城、毛利輝元の広島城と並んで近世城郭の先駆けとなり、築城技術の発達が著しい時期における代表的な城郭建築として高く評価されています。

関ヶ原の戦いと小早川秀秋の時代

慶長5年(1600年)、天下分け目の関ヶ原の戦いで、宇喜多秀家は西軍の主力として戦いました。しかし西軍の敗北により、秀家は八丈島へ流刑となり、宇喜多家は改易されてしまいます。秀家は八丈島で83歳まで生き、その波瀾万丈な生涯を閉じました。

宇喜多家に代わって岡山城に入城したのは、関ヶ原の戦いで裏切りにより東軍勝利の立役者となった小早川秀秋でした。秀秋は備前・美作52万石の領主として、さらなる城の拡張を行いました。

秀秋は本丸中の段を拡幅し、三之丸の外側に15町余の外堀を掘って三之外曲輪を整備し、城下町を拡大しました。この外堀工事では農民だけでなく武士も動員し、わずか20日で完成させたため、「廿日堀(はつかぼり)」と呼ばれています。

慶長6年には、中の段南隅に沼城天守を移築したとされ、これは大納戸櫓と呼ばれました。岡山城最大の櫓で、二層の大入母屋造りの上に望楼を乗せた形式の三層四階という壮大な構造でした。しかし秀秋は入城からわずか2年後の慶長7年(1602年)10月に岡山で急死し、嗣子がなかったため小早川家は断絶してしまいます。

池田家による統治と城郭の完成

慶長8年(1603年)、小早川家断絶後、姫路城主であった池田輝政の次男・池田忠継が備前国・岡山藩28万石の初代藩主として入城しました。しかし忠継がまだ幼少であったため、実質的な統治は兄の池田利隆が代行しました。

池田家は宇喜多秀家や小早川秀秋が築いた城郭をさらに拡張・整備していきます。二代藩主の池田忠雄は岡山城の増改築に際して、本丸搦め手に備えて月見櫓を建設しました。この月見櫓は江戸時代初期の隅櫓で、二階の城内側は廻り縁側を設けて開け放した構造となっており、日常生活にも使える造りでした。その名の通り月見にも適した優美な櫓でしたが、武器の貯蔵庫としての機能や鉄砲を撃つための穴も備えており、戦闘にも対応していました。

その後、因幡鳥取藩主であった池田光政が岡山藩主となり、池田家による本格的な統治が始まります。光政は城郭整備だけでなく、教育、医療、防災といった「ソフト事業」に力を入れ、藩政を充実させました。光政の功績により、現在でも岡山市民の間では歴代藩主の中で特に池田光政が英雄視されています。

池田家は幕末まで岡山藩を統治し続け、岡山城は岡山藩の政治・経済・文化の中心として機能しました。

明治維新以降の変遷と戦災

明治2年(1869年)の版籍奉還により、藩主・池田章政は岡山藩知事に任ぜられ、岡山城は藩の府城としての役割を終えました。明治6年(1873年)の廃城令により、順次建物の取り壊しと堀の埋め立てが行われていきました。明治15年(1882年)頃までには、天守、月見櫓、西之丸西手櫓、石山門を残すのみとなってしまいます。

明治23年(1890年)、旧藩主・池田章政に払い下げられた後、池田家は岡山県に提供し、明治29年(1896年)には本丸跡に県立岡山中学校が建てられました。随所にあった堀の埋め立ては何度かに分けて行われ、昭和初期頃までには城跡と見受けられるのは本丸を残すのみとなり、五重の濠に囲まれた巨大な城郭は市街地へと姿を変えていきました。

昭和9年(1934年)、岡山城天守は国宝に指定され、その歴史的価値が認められます。しかし昭和20年(1945年)6月29日、岡山空襲により天守は焼失してしまいました。戦前は国宝であった月見櫓も空襲の被害を受けましたが、こちらは焼失を免れ、戦後は重要文化財に指定されています。

戦後の復元と令和の大改修

岡山城の廊下門の内側と階段
岡山城の廊下門の内側と階段

昭和41年(1966年)、築城370年を記念して天守が鉄筋コンクリート造で外観復元されました。古写真などをもとに、窓の位置の違いなどを除いて外観はほぼ再現され、内部は博物館として整備されました。この再建により、岡山城は再び岡山市のシンボルとして市民や観光客に親しまれる存在となります。

平成8年(1996年)には、築城400年記念事業として、創建当時の天守に金の鯱が載っていたという史実に基づき、金鯱を施しました。平成18年(2006年)には日本100名城(70番)に選定され、その歴史的価値が再評価されています。

そして令和3年(2021年)6月から令和4年(2022年)11月まで、約1年半にわたる「令和の大改修」が行われました。耐震補強などの構造的な改修に加え、展示内容を一新。岡山市出身の歴史学者・磯田道史氏の監修により、「楽しく」「分かりやすく」岡山城の歴史を伝える展示となりました。

令和4年11月3日、築城450年を迎えた岡山城は、昭和の再建日と同じ11月3日にリニューアルオープン。外観を黒く塗り直し、往時の威厳を取り戻した姿で、新たな時代を迎えています。

烏城公園の見どころと魅力スポット完全ガイド

烏城公園の入口
烏城公園の入口

リニューアルされた岡山城天守の内部展示

令和の大改修を経てリニューアルオープンした岡山城天守は、外観3層内部7階建ての構造で、各階にテーマ性のある充実した展示が配置されています。なお、入り口のフロアは地下1階となっています。

岡山城の塩蔵
岡山城の塩蔵

1階は「体感戦国絵巻」として、無料でお姫様やお殿様の着付け体験ができる体験記念撮影コーナーがあります。刀や鉄砲を手に取り、実際の重さを体感することも可能です。馬や駕籠に乗って記念撮影できるスポットも人気で、訪れる方々が楽しみながら歴史を学べる工夫が随所に見られます。駕籠の隣には殿様・姫様用の雪隠があり、中には黄金に輝く便器が鎮座しているユニークな展示もあります。

2階は「江戸時代の岡山」がテーマで、池田光政と池田綱政による藩政改革や文化振興の功績を詳しく紹介しています。光政の教育政策や綱政による後楽園造営などが展示され、江戸時代の岡山の発展を学ぶことができます。

3階は「それぞれの関ヶ原」として、関ヶ原の戦いで大きく運命が動いた岡山城の歴代城主たちの生涯を紹介。宇喜多秀家、小早川秀秋、池田家それぞれの視点から、天下分け目の戦いを振り返ることができます。

4階は「岡山戦国の表舞台へ」として、宇喜多直家と秀家にスポットを当てた展示です。直家の戦略的な城下町形成、秀家による大規模築城の過程が詳細に解説されています。展示では、宇喜多秀家時代の金箔軒平瓦も見ることができます。岡山城は築城時、随所に金箔瓦が使われており、本丸から離れた場所でも金箔瓦が出土していることから、天守以外の建物も豪華絢爛な造りであったことが伺えます。

5階は「今につながる城下町」として、プロジェクションマッピングを用いた10分弱の映像展示があります。興味深いのは、宇喜多直家の妻・おふく、宇喜多秀家の妻・豪姫、池田光政の妻・勝姫の三人がナレーションを務めている点です。まるで井戸端会議のような親しみやすい語り口で、三人の妻たちがそれぞれの夫の功績を紹介してくれます。歴代城主の取り組みが現在の岡山のまちにも生きていることがよく分かる内容となっています。

6階は最上階の展示室で、「”烏城”岡山城の魅力」がテーマです。少し薄暗く感じるのは、照明を極力控えて、築城当時の明るさを体験できるように作られているためです。天気や時間によって窓から入る光の量や色が変わるので、往時の雰囲気をリアルに体感できます。最上階からは眼下に旭川を望み、岡山後楽園と市街地を360度見渡せる絶景が楽しめます。

地下1階の出口付近には、岡山の忍者にまつわるコーナーがあります。岡山城は忍者ともゆかりが深く、宇喜多家、小早川家、池田家と忍者の関係をマンガで紹介しています。

天守内のB1Fの塩蔵部分には「金烏城商店」というグッズショップがあり、岡山城グッズや岡山にちなんだお土産を購入できます。また1Fには「烏城カフェ」も併設されており、観覧の合間に特製のパフェを食べつつ休憩することも可能です。

国の重要文化財・月見櫓

岡山城の月見櫓
岡山城の月見櫓

月見櫓は岡山城本丸跡に現存する唯一の櫓で、国の重要文化財に指定されています。1620年頃に二代藩主・池田忠雄によって建てられたとされ、江戸時代初期の隅櫓として貴重な建築物です。

月見櫓という名の通り、月見をする目的で建てられた優雅な櫓ですが、実際には武器の貯蔵庫としての機能も備え、鉄砲を撃つための穴も設けられていました。外観は黒い天守とは対照的に白が基調となっており、建てられた時代が異なることを示しています。

二階の城内側は廻り縁側を設けて開け放した佇まいで、日常生活にも使用できるような構造となっており、その名の通り月見にも適していました。岡山城には天守を含め34基の櫓があったとされていますが、現存しているのはこの月見櫓と西の丸西手櫓のみです。戦災を免れて今なお当時の姿をとどめる月見櫓は、岡山城の歴史を語る貴重な証人として、訪れる人々を魅了しています。

時代を物語る三種類の石垣

烏城公園と岡山城の石垣
烏城公園と岡山城の石垣

烏城公園内では、岡山城の歴史を物語る三種類の石垣を観察することができます。これは岡山城が豊臣時代から江戸時代にかけて増改築されてきた証拠であり、石垣の積み方の発達の様相を示す全国有数の遺構です。

まず、宇喜多秀家の時代に行われた「野面積(のづらづみ)」があります。これは自然石をほぼそのまま使用して積み上げる方法で、石の間に隙間が多く、素朴な印象を与えます。本丸本段の野面積による高石垣は、この時期の全国有数の遺構といえます。

次に、小早川秀秋や池田家初期の時代に行われた「打込ハギ(うちこみはぎ)」があります。これは石の角や面をある程度加工して、隙間を少なくする積み方です。野面積よりも安定性が増し、技術の進歩が見て取れます。

そして池田家中期以降に行われた「切込ハギ(きりこみはぎ)」があります。これは石を精密に加工し、隙間なくぴったりと積み上げる高度な技術です。最も整った美しい外観を持ち、石垣技術の完成形といえます。

烏城公園で出土した古い石垣の展示
烏城公園で出土した古い石垣の展示

特に本丸東側では、これら三種類の石垣が混在しており、各時期の石積みを比較しながら観察することができます。発掘調査では、現在の本丸地表面の下に宇喜多氏時代の石垣も発見されており、地下4メートルに及ぶ江戸時代の地層が実物展示されている箇所もあります。

石垣をよく観察すると、矢穴跡の付いた石や、丸に十の模様が彫られた石なども見つけることができ、石垣マニアにはたまらない見どころとなっています。

不明門と廊下門

岡山城の不明門の外側と岡山市のマンション群
岡山城の不明門の外側と岡山市のマンション群

岡山城の入口には、1966年(昭和41年)に天守とともに再建された不明門(あかずのもん)があります。この門は当時はほとんど使われなかったため、「明かずの門」と呼ばれていました。現在は烏城公園への主要な入口の一つとして機能しており、風格ある歴史的な門の姿が、ここが岡山城であることを示しています。

岡山城の廊下門
岡山城の廊下門

不明門とは反対側の後楽園側には、廊下門があります。これも戦後に再建されたものですが、城郭特有の防御構造を持った門で、往時の城の威容を感じさせてくれます。

備前焼工房での土ひねり体験

烏城公園にある備前焼工房
烏城公園にある備前焼工房

烏城公園内、岡山城下段には備前焼の土ひねり体験施設「備前焼工房」があります。ここでは小鉢や箸置き、角皿などをろくろを使って粘土から作る本格的な備前焼体験ができます。

体験時間は30分から1時間程度で、料金も手頃です。スタッフが丁寧に教えてくれるので、初めての方でも安心して参加できます。出来上がった作品は工房で焼き上げ、約2ヶ月後に自宅まで配送してもらえます。旅の記念として、また大切な人へのプレゼントとして、自分だけのオリジナル備前焼を作ることができる貴重な体験です。

天守夜間貸し切りサービス

岡山城
岡山城

岡山城の魅力の一つが、個人・団体向けの天守夜間貸し切りサービスです。料金は10万円で天守閣(飲食は1階の多目的フロアのみ)を貸し切ることができ、リニューアルオープン以来、多くの方々が利用して大好評となっています。

結婚式、各種オフ会、企業や団体の会合や式典、接待、コスプレ撮影会など、利用目的は様々です。天守内で飲食もできるため、特別なイベント会場として最適です。貸し切れば天守の中にいるのは関係者だけという特別感は、何物にも代えがたい体験となるでしょう。

烏城灯源郷のライトアップイベント

春、夏、秋には岡山城天守とその周辺をライトアップした「烏城灯源郷(うじょうとうげんきょう)」が開催されます。漆黒の天守が光に照らされる様子は幻想的で、昼間とはまた違った魅力を放ちます。

また、岡山城は毎日、日没から24時までライトアップされており、夜の散策も楽しめます。旭川に架かる月見橋から見た夜の岡山城は、川の色との対比が見事で、絶好の撮影スポットとなっています。

後楽園との連絡橋・月見橋

後楽園側から眺めた岡山城
後楽園側から眺めた岡山城

烏城公園と日本三名園の一つである後楽園は、旭川に架かる歩行者専用の月見橋で結ばれています。この橋を渡れば、岡山城と後楽園を徒歩で行き来することができ、岡山観光の主要ルートとなっています。

月見橋からの眺望は素晴らしく、特に岡山城を背景にした写真撮影スポットとして人気です。橋の上から見る岡山城と旭川の風景は、四季折々に異なる表情を見せ、何度訪れても新鮮な感動があります。

後楽園との共通券も販売されているため、両方を効率よく巡ることができます。岡山城で歴史を学んだ後に後楽園で庭園美を堪能する、あるいはその逆のルートも楽しめる、岡山観光の黄金コースとなっています。

烏城公園の四季折々の自然

烏城公園の目安橋
烏城公園の目安橋

烏城公園は桜や紅葉の名所としても知られています。春には約240本のソメイヨシノが咲き誇り、黒い天守と桜のコントラストが見事です。桜の季節には多くの花見客で賑わい、特に夜桜ライトアップの時期は幻想的な雰囲気に包まれます。

秋には紅葉が美しく色づき、石垣と紅葉の組み合わせは情緒豊かな風景を作り出します。夏には緑濃い木々が天守を囲み、江戸時代の武家文化を感じさせる荘厳な雰囲気が漂います。冬には雪化粧した烏城も風情があり、四季を通じて異なる表情を楽しむことができます。

烏城公園にある供の腰掛
烏城公園にある供の腰掛

公園内には散策路も整備されており、旭川沿いの遊歩道を歩きながら城を眺めるのも格別です。ベンチも随所に設置されているため、ゆっくりと休憩しながら歴史散策を楽しめます。

石山公園との一体感

烏城公園の西側に隣接する石山公園は、宇喜多直家が最初に築いた石山城の跡地です。この石山公園から見る岡山城は、また違った角度からの眺めとなり、写真愛好家にも人気のスポットです。

現在は芝生広場として整備され、家族連れがピクニックを楽しんだり、子どもたちが遊んだりする憩いの場となっています。烏城公園と一体となった広大な緑地空間を形成しています。

石山公園には野外音楽堂もあり、イベント会場としても活用されています。歴史の舞台となった場所が、現代では市民の憩いの場として機能している様子は、岡山城の歴史が現在にも生き続けていることを実感させてくれます。

旭川遊覧クルーズ

石山公園には、旭川遊覧クルーズの発着場があります。川から見上げる岡山城は、陸上から見るのとはまた違った迫力と美しさがあります。下から煽り見る烏城、角度によって形の変わる岡山城は、一見の価値があります。

旭川越しに見ると天守の不等辺五角形がよく分かり、その独特のフォルムの格好良さを堪能できます。クルーズでは岡山城だけでなく、対岸の後楽園の景色も楽しむことができ、水上からの優雅な観光体験となります。

お得に岡山城を楽しむ割引情報

岡山城の料金表
岡山城の料金表

岡山城と烏城公園を訪れる際、知っておきたいお得な情報があります。天守の入場料は大人400円、小中学生100円となっていますが、さまざまな割引方法が用意されています。

後楽園との共通券を購入すれば、別々に購入するよりもお得に両方の施設を楽しむことができます。岡山城と後楽園は徒歩圏内にあり、月見橋で結ばれているため、セットで訪れることをおすすめします。

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笠井 信一の銅像と岡山城
笠井 信一の銅像と岡山城

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まとめ:歴史と現代が交差する烏城・岡山城

岡山城の天守閣入口
岡山城の天守閣入口

岡山城は宇喜多直家による石山城の築城から450年以上の歴史を持ち、戦国時代から江戸時代にかけての日本の歴史を体現する貴重な文化遺産です。宇喜多秀家が8年の歳月をかけて完成させた黒漆の天守は、豊臣秀吉の信頼の証であり、当時の最先端技術と美意識が結集された傑作でした。

関ヶ原の戦いを境に城主が変わり、小早川秀秋、そして池田家へと受け継がれた岡山城は、各時代の城主たちによって拡張・整備され、岡山のまちの発展とともに歩んできました。戦災により天守は焼失しましたが、昭和の再建、そして令和の大改修を経て、現在は最新の展示技術で歴史を伝える施設として生まれ変わっています。

岡山城の不明門の内側
岡山城の不明門の内側

烏城公園は単なる城跡ではなく、国の重要文化財である月見櫓、三種類の石垣、備前焼体験施設、旭川遊覧クルーズなど、多彩な見どころを備えた総合的な歴史文化公園です。四季折々の自然美も楽しめ、何度訪れても新しい発見があります。

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黒漆の外観が放つ重厚な威厳、不等辺五角形の独特なフォルム、そして宇喜多秀家から池田家まで受け継がれてきた歴史の重み。烏城・岡山城は、日本の城郭建築の粋を集めた名城として、今日も多くの人々を魅了し続けています。

烏城公園の岡山城へ上る階段
烏城公園の岡山城へ上る階段

あなたも岡山城と烏城公園を訪れて、450年以上の歴史が刻まれた壮大な物語を体感してみませんか。令和の大改修を終えた新しい岡山城が、皆様のお越しをお待ちしています。

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