添乗員ライターがお届けする旅行情報。今回は、年間3,000万人以上が訪れる東京を代表する古刹、浅草寺(金龍山浅草寺)の魅力を深掘りします。雷門や仲見世通りがあまりにも有名ですが、実は境内には本堂以外にも多彩な堂宇が点在し、研究者の間では「神仏のデパート」とも評されています。観音さまへの参拝はもちろん、商売繁盛・夫婦和合・裁縫上達・火除けまで、ひとつの境内でさまざまなご利益を求めて参拝できるのが浅草寺の大きな特徴です。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 正式名称 | 金龍山浅草寺(きんりゅうざんせんそうじ) |
| 宗派 | 聖観音宗(本山) |
| 所在地 | 東京都台東区浅草2丁目3−1 |
| 本堂開堂時間 | 6:00〜17:00(10月〜3月)/6:00〜17:30(4月〜9月)/境内は24時間参拝可 |
| 拝観料 | 無料 |
| アクセス | 東京メトロ銀座線・東武スカイツリーライン「浅草駅」より徒歩約5分、都営浅草線「浅草駅」A4出口より徒歩約5分 |
国際観光地・浅草で直面する混雑という現実

年間3,000万人を超える参拝・観光客が集まる浅草寺は、東京有数のインバウンド人気スポットでもあります。平日でも仲見世通りや雷門前は多くの人で賑わい、週末や行楽シーズンはさらに密度が増します。とりわけ正月三が日は境内への入場規制が行われるほどの混雑となり、参拝に数時間を要するケースもあります。また訪日外国人の増加とともに多言語の案内表記や混雑時の誘導など境内環境の変化も続いており、初めて訪れる方にとっては、どのお堂をどの順に巡ればよいのか把握するのも一苦労です。
こうした状況を踏まえたうえで、境内を余すところなく楽しむためには、各堂宇の由来・祀られている仏神・ご利益・参拝作法をあらかじめ把握しておくことが重要です。表面的な観光にとどまらず、信仰の深みまで触れる参拝体験のために、本記事では浅草寺の歴史的背景から、境内各所の「神仏デパート」的な見どころまでを詳しく解説します。
飛鳥時代から受け継がれる東京最古の寺院、1,400年の歴史

漁師の網にかかった観音像
浅草寺の歴史は、飛鳥時代の推古天皇36年(628年)3月18日にさかのぼります。檜前浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)の兄弟が隅田川(当時は宮戸川とも呼ばれていた)で漁をしていたところ、網に一体の仏像が入りました。その像を見た郷司・土師中知(はじのなかとも)は、それが聖観世音菩薩であることを識り深く帰依。出家して自らの私邸を寺に改め、この尊像の礼拝供養に生涯を捧げました。これが浅草寺の起源です。
このご示現の際、一夜にして千株の松が出現し、天から金の龍が降臨したと伝えられています。浅草寺の山号「金龍山」はこの由来に基づいており、毎年3月18日の本尊示現会と10月18日の菊供養では「金龍の舞」が境内で披露されます。
その後、大化元年(645年)には勝海上人がこの地を訪れて観音堂を建立。夢告によりご本尊は秘仏と定められ、以来現在に至るまで一般には開帳されない絶対秘仏として厳守されています。このため浅草寺のご本尊は、誰も目にしたことがない「秘仏中の秘仏」として信仰を集め続けています。
慈覚大師による中興と武家の庇護
平安時代の嘉祥元年(848年)、天台宗の高僧・慈覚大師円仁が来山し浅草寺を中興します。慈覚大師は前立ご本尊(お身代わりの観音像)と仁王像を造立し、寺格を大きく高めました。その後、浅草寺は源頼朝や足利尊氏といった武将たちの篤い庇護を受けるとともに、江戸時代には徳川家康が武運長久を祈念した寺としても知られています。
徳川三代将軍・家光は慶安2年(1649年)に本堂をはじめ多くの堂塔を再建。幕府の庇護のもと境内の整備が進み、浅草寺は江戸庶民の信仰と行楽の中心地として栄えました。仲見世通りの前身となる参道の茶屋・土産物屋が軒を連ね、芸能や演芸の場「奥山」も設けられ、人々が信仰だけでなく娯楽も求めて集まる場所となったのです。
東京大空襲と復興
明治40年(1907年)に国宝に指定されていた本堂は、昭和20年(1945年)3月10日の東京大空襲で焼失しました。難を逃れたご本尊は現在の淡島堂の場所に設けられた仮本堂で守られ、全国の信徒からの浄財により昭和33年(1958年)に現在の鉄筋コンクリート造の本堂が再建されました。入母屋造りの大屋根は急勾配で棟高く、遠方からも望み見ることができます。かつての本瓦は平成22年(2010年)に軽量のチタン瓦に葺き替えられ、現在に至ります。
聖観世音菩薩に参る、本堂の荘厳な世界

本堂(観音堂)は浅草寺信仰の中心です。正面向拝の大提灯(直径4.5m)が迎える堂内は、外陣と内陣に分かれています。外陣の天井には川端龍子画「龍之図」と堂本印象画「天人之図」「散華之図」が描かれており、見上げるだけでも圧倒的な迫力です。
内陣に上がると、中央には唐様・八棟造りの御宮殿(ごくうでん)が安置されており、その内部にご本尊の秘仏と御前立ご本尊が納められています。御宮殿の左右には帝釈天・梵天の立像があり、内陣右奥に不動明王、左奥に愛染明王も祀られています。また御宮殿背後の裏堂には「裏観音」と呼ばれる観世音菩薩が安置されており、本堂を一周してすべての方向から観音さまに祈願できる構造となっています。
毎月18日の観音ご縁日には、特に多くの信徒が集い、真摯な祈りの空間となります。
本堂参拝の基本作法
雷門で合掌・一礼してから仲見世通りへ進みます。宝蔵門をくぐる前に常香炉でお線香の煙を体に浴びて身を清め、お水舎で手を洗い清めます。本堂では賽銭箱にお賽銭を入れ、合掌して祈願し一礼します。内陣(畳の間)に上がって観音さまの御慈悲をより近くに感じることも可能です。
浅草寺「神仏のデパート」各堂の由来・ご利益・参拝方法

浅草寺の境内には本堂のほかに多数の堂宇・祠が点在し、それぞれ異なる仏神を祀っています。浅草寺が「神仏のデパート」と評される所以は、ひとつの境内でこれほど多彩な信仰の対象に出会えることにあります。各堂宇の由来とご利益を知ることで、参拝体験は格段に豊かになります。
影向堂(えいごうどう)で干支の守り本尊に参る
本堂北西に建つ寄棟造の堂宇が影向堂です。現在の建物は平成6年(1994年)、浅草寺中興開山・慈覚大師円仁の生誕1,200年を記念して建立されました。
「影向」とは、神仏が姿かたちとなって現れることを意味します。浅草寺では観世音菩薩のご活躍に協力する仏さまを「影向衆」と呼び、影向堂には干支(生まれ年)ごとの守り本尊8体を祀っています。
内陣中央には聖観世音菩薩を安置し、その左右に千手観音(子)、虚空蔵菩薩(丑・寅)、文殊菩薩(卯)、普賢菩薩(辰・巳)、勢至菩薩(午)、大日如来(未・申)、不動明王(酉)、阿弥陀如来(戌・亥)が横一列に並んでいます。外陣には浅草名所七福神の大黒天も祀られており、影向堂は浅草寺の朱印所としても知られています。
境内には元和4年(1618年)に架設された石橋(国の重要美術品)や元禄6年(1693年)の青銅製阿弥陀如来など古い文物が多く残されており、歴史の重厚さを感じられるエリアです。
参拝方法・ご利益: 自分の干支の守り本尊の前で合掌して祈願します。ご利益は守り本尊それぞれに応じた開運・諸願成就。大黒天には福徳・財運のご利益があるとされています。
薬師堂(橋本薬師堂)に病気平癒・健康長寿の仏を祀る
影向堂の南に位置する三間四方の堂宇が薬師堂、正式には「橋本薬師堂」と呼ばれます。当初は本堂北側の「北薬師」と呼ばれていましたが、慶安2年(1649年)に徳川三代将軍・家光が本堂北西に再建。かたわらに小さな橋があったことから「橋本薬師堂」と命名されました。浅草寺に残る江戸時代以前の建築の中では六角堂・二天門とともに古い建物のひとつで、平成6年(1994年)に現在地へ移されています。
堂内には本尊の薬師如来のほか、日光・月光菩薩、眷属の十二神将、冥界で死者の罪業を裁く十王の群像が安置されています(堂内への立ち入りはできません)。
参拝方法・ご利益: 堂前で合掌して参拝します。薬師如来は「医王さま」とも呼ばれ、病気平癒・健康長寿・心身健全のご利益があるとされています。
淡島堂で女性の守り神として裁縫の上達を願う
元禄年間(1688〜1704年)、紀伊国(現・和歌山県と三重県南部)加太の淡島明神を勧請して建てられたのが淡島堂です。東京大空襲で本堂が焼失した後、一時は仮本堂としてご本尊をお守りした由緒ある建物でもあります。その後、影向堂として移転を経て平成6年に現在地に移築されました。
加太淡島神社の祭神は少彦名命(すくなひこなのみこと)で、淡島という小島に鎮座することから「淡島明神」の俗称があります。堂内には本尊の阿弥陀如来像、淡島明神像と本地仏の虚空蔵菩薩像、取子地蔵尊などが安置されています。
淡島明神は古来より女性の守り神として篤い信仰を集めており、江戸時代には「淡島の願人」と呼ばれる人々が市中で信仰を広めて歩いていたほどです。毎年2月8日には「針供養会」が行われ、使い古した針を豆腐やこんにゃくに刺して供養する伝統の法要が営まれます。
参拝方法・ご利益: 堂前で合掌して参拝します。子授け・安産・婦人病回復・裁縫上達など、女性に関係した幅広いご利益があるとされています。
銭塚地蔵堂に商売繁盛・財福祈願とユニークな由来
銭塚地蔵堂には、ひとつの感動的な由緒が伝わっています。享保年間(1716〜36年)、摂津国有馬郡(現・兵庫県西宮市)に山口某という武士の妻がおり、貧しくも清廉に暮らしていました。ある日、子供たちが庭から大量の寛永通宝を掘り当てましたが、母親は「理由のない金を受け取るのは恥」として金を埋め戻させました。この賢明な母に育てられた子供たちは立派に成長して家が繁栄し、金を埋めた場所に地蔵尊を祀ったのが銭塚地蔵尊の起源です(現・西宮市山口町に現存)。浅草寺の銭塚地蔵堂は、この地蔵尊の御分霊を勧請したものです。
堂内には六地蔵尊が安置されており、像の下には江戸時代の貨幣「寛永通宝」が埋められているといわれています。なお銭塚地蔵堂の脇には、石像に塩を奉納して祈ると財福のご利益があるとされる「カンカン地蔵」もあります。石を当てると金属音がすることからその名がついており、参拝者がそっと石を当てる姿が見られます。
毎月「四の日(4・14・24日)」に法要が営まれ、特に1月・5月・9月の24日は「正五九(しょうごくの)」と呼ばれる大法要が行われます。
参拝方法・ご利益: 堂前で合掌して参拝します。商売繁盛・財福のご利益があるとされており、塩を奉納して祈願するのも一つの作法です。
鎮護堂に伝わる狸の霊験と火除け・芸能上達のご利益
境内でひときわユニークな由来を持つのが鎮護堂です。かつて江戸には狸が多く棲んでおり、上野の山や浅草の奥山にも生息していましたが、上野戦争(1868年)や奥山の開拓などで行き場を失った狸たちが明治初頭に浅草寺の伝法院あたりに棲みつくようになりました。狸たちは草履を釜に投げ入れたり、座敷に砂をまくなどのいたずらを重ねたといいます。
困り果てた当時の住職・唯我韶舜大僧正の夢枕に狸が現れ、「祠を建てて保護してくれれば伝法院を火災から守り、永く繁栄させましょう」とお告げがあったため、明治16年(1883年)に鎮護大使者として祀ったのがこの鎮護堂です。その霊験あってか、伝法院と鎮護堂はともに関東大震災・東京大空襲での焼失を免れています。
「狸」を「他を抜く」という語呂で捉えることから、落語家や歌舞伎役者をはじめとする芸能関係者の信仰が篤いことでも有名です。
参拝方法・ご利益: 堂前で合掌して参拝します。火除け・盗難除けのほか、「他を抜く」語呂から諸芸上達のご利益があるとされています。
弁天山(弁天堂)関東三弁天のひとつに「時の鐘」が響く
本堂南東に位置する小高い丘が弁天山で、頂上に弁財天を祀る弁天堂が建っています。弁天山はかつて池の中の島にあり、現在は池が埋め立てられて公園となっています。
弁天堂のご本尊は「老女弁天」と通称される、白髪の弁財天像で、神奈川県藤沢市の江ノ島弁天・千葉県柏市の布施弁天と並ぶ「関東の三弁天」のひとつとして知られています。弁財天の縁日は十二支の「巳の日」で、この日のみ堂内の扉が開かれて法要が営まれます。
弁天堂右手の鐘楼には「時の鐘」が掛かっています。元禄5年(1692年)に五代将軍・徳川綱吉の命で改鋳されたこの鐘は、かつて江戸市中に時刻を知らせていたもので、深川に住んでいた松尾芭蕉も「花の雲 鐘は上野か 浅草か」と詠んでいます。戦時中、多くの寺の梵鐘が金属供出を余儀なくされた中、この鐘は特に由緒があるとして残され、現在も毎朝6時に時報として撞かれ、大晦日には除夜の鐘として境内に響きわたります。
参拝方法・ご利益: 弁天堂前で合掌して参拝します。弁財天は七福神の中で唯一の女神で、財運・金運・芸能・縁結びのご利益があるとされています。「巳の日」に参拝すると金運上昇のご利益がより強いと伝えられています。
六角堂(日限地蔵)都内最古の木造建造物に祀られる地蔵尊
影向堂の脇に建つ六角堂は、室町時代(16世紀頃)の建立で東京都指定有形文化財、都内最古の木造建造物とされる小堂です。本尊は「日限(ひぎり)地蔵尊」で、日数を決めて(限って)祈願するとその願いが叶うといわれています。小規模ながら、その歴史的価値と願掛けの霊験から根強い人気があります。
参拝方法・ご利益: 日数を定めて毎日祈願することで、特に切実な願い事が叶うとされています。どうしても叶えたい願い事がある方に特に参拝される堂宇です。
境内を歩けば江戸に出会う、各エリアの見どころ散策
雷門(風雷神門)95年間失われた浅草のシンボル

浅草寺の総門である雷門の正式名称は「風雷神門(ふうらいじんもん)」といいます。天慶5年(942年)に武蔵守・平公雅(たいらのきんまさ)によって創建されたと伝えられ、当初は駒形堂付近に建っていましたが、鎌倉時代以降に現在の場所へ移されました。移築に際して風神・雷神像が安置されたことから「風雷神門」と名付けられましたが、「雷門」という呼称が民間に定着したのは江戸時代中期の文化年間(1804〜18年)頃のことで、当時の川柳にも「風の神雷門に居候」と詠まれています。
その後も幾度となく焼失と再建を繰り返し、慶応元年(1865年)の大火で延焼してからは実に95年にわたって再建されることなく姿を消していました。昭和35年(1960年)、松下電器産業(現・パナソニック)社長・松下幸之助が関節痛の快癒を祈願され、浅草寺貫首のご祈願によって快復したことへの御礼として個人で寄進し、江戸時代の様式を踏まえた現在の門が誕生しました。
門の中央に吊り下げられた大提灯は高さ3.9m・直径3.3m・重さ約700kgという存在感で、骨組みには京都丹波地方産の竹、和紙には福井県産のものが約300枚使われた純日本製の作品です。提灯の底面には龍の彫刻が施されており、ご本尊示現の際に金龍が舞い降りたという浅草寺の縁起に由来しています。また「雷門」の文字が書かれた表面と対をなすように、裏面には正式名称「風雷神門」の文字が刻まれており、くぐる際にそっと確認してみると面白いでしょう。
門の左右に立つ風神・雷神像は、風水害・火災から浅草寺の伽藍を護る善神です。幕末の大火で頭部のみ焼け残り、明治7年(1874年)に胴体部分が補われた歴史を持ちます。さらに門をくぐった北側(風雷神像の背後)には天龍像(男性・高さ約2.93m)と金龍像(女性・高さ約2.74m)が安置されており、昭和53年(1978年)に松下グループ有志の寄進によって設置されました。水を司る護法善神として五穀豊穣と海難除けの信仰を集めています。日没から午後11時頃にかけてライトアップが行われ、夜の雷門は昼とはひと味違う荘厳な表情を見せます。
仲見世通り、江戸から続く日本最古の商店街のひとつ

雷門をくぐると、宝蔵門まで約250mにわたって朱塗りの店舗が参道の両側に連なる仲見世通りが始まります。「仲見世」という名は、雷門通り周辺に並ぶ店と浅草寺観音堂前の店との「中間(中店)」に位置することに由来するともいわれています。
その歴史は江戸時代の貞享2年(1685年)頃にさかのぼります。参拝者の増加にともない、浅草寺が周辺住民に境内の清掃という賦役を課すかわりに、参道の支院軒先に床店を出す許可を与えたのが仲見世の発祥とされています。江戸中期には宝蔵門寄りに「二十軒茶屋」と呼ばれる20軒の水茶屋が並び、美人の看板娘を目当てに通い続ける客の姿が川柳に詠まれるほどの賑わいを見せました。
明治維新後、浅草寺の寺領は政府に没収され、仲見世の特権も失われましたが、明治18年(1885年)12月に赤れんが造りの洋風建築による近代仲見世が誕生します。しかし大正12年(1923年)の関東大震災で壊滅し、大正14年(1925年)に現在の鉄筋コンクリート造り・桃山風朱塗りの商店街として生まれ変わりました。昭和20年(1945年)の東京大空襲でも外構えを残して内部は焼失しましたが、仲見世の人々の尽力により早期に復興しています。

現在の仲見世には東側に52店、西側に35店の計87店が軒を連ねており(公式サイト掲載数)、統一された電飾看板と四季折々の装飾が石畳に映える美しい景観を形成しています。平成6年(1994年)の電柱撤去・地中線化によって通りはいっそうすっきりとし、歩くだけで江戸情緒が漂います。人形焼・雷おこし・揚げまんじゅう・きびだんごといった浅草名物の食べ歩きが楽しめるほか、和小物・浮世絵グッズ・伝統工芸品を扱う土産物店が多数並んでいます。また平成元年(1989年)には東京芸術大学・平山郁夫教授のグループが全店のシャッターに浅草の歳時記「浅草絵巻」を描いており、閉店後の夜間には別の見どころとなっています。
宝蔵門、仁王が守る経典の蔵

仲見世を歩き進むと、参道の突き当たりに朱塗りの堂々たる楼門が姿を現します。浅草寺山門の宝蔵門です。正式には入母屋造りの二重門で、高さ約21.7m。雷門と同じく創建は天慶5年(942年)と伝えられ、以来「仁王門」として数度の焼失と再建を繰り返してきました。昭和20年(1945年)の東京大空襲で焼失し、昭和39年(1964年)に大谷重工業社長・大谷米太郎夫妻(ホテルニューオータニ創業者)の寄進により鉄筋コンクリート造りで再建されました。再建に際して、伝来の経典や寺宝を収蔵する蔵も兼ねることになり、仁王門から「宝蔵門」へと改称されています。なお屋根は平成19年(2007年)に軽量のチタン瓦に葺き替えられました。
門の両端には仁王像(金剛力士像)が安置されており、向かって左(西)の阿形(あぎょう)像は仏師・錦戸新観、右(東)の吽形(うんぎょう)像は木彫家・村岡久作の作です。阿形像のモデルは大横綱・北の湖といわれており、インドの古代武器を手にその二体は境内を守護しています。江戸時代には仁王像が霊験あらたかとして信仰を集め、噛んでまるめた紙を投げつけて像にくっついたら願いが叶うという俗信も生まれました。現代でも身体健全・災難厄除の神として参拝者が手を合わせます。
中央に吊られた大提灯には「小舟町」の文字が読め、江戸時代の万治2年(1659年)より日本橋小舟町の信徒から奉納が続く由緒ある提灯です。ほぼ10年ごとに新調されており、高さ約3.8m(270×380)の迫力ある赤い提灯は境内の風景に欠かせない存在です。
宝蔵門の裏側(境内側)には「大わらじ」が吊り下げられており、長さ4m・幅1.5m・重さ約500kgというまさに仁王さまが履いたと伝わる規格外の大きさです。山形県村山市の有志によって奉納されたもので、邪気を踏み退ける力の象徴として魔除け・健康祈願の意味が込められています。宝蔵門をくぐり本堂へ向かう前に、ぜひ裏側から見上げてみてください。
上層部には国の重要文化財「元版一切経(げんばんいっさいきょう)」が収蔵されています。もとは鎌倉・鶴岡八幡宮に収蔵されていたものが、明治の神仏分離で焼却処分されそうになったところを、浅草寺に深く帰依した尼僧・貞運尼が買い取り奉納したという数奇な由緒を持つ経典です。
五重塔

現在の五重塔は昭和48年(1973年)に再建されたもので、高さ約53mを誇ります。浅草寺境内の西側に位置し、朱塗りの鮮やかな外観は境内のシンボルのひとつです。
駒形堂、浅草寺発祥の霊地
境内から離れて隅田川の駒形橋たもとに建つ駒形堂は、推古天皇36年(628年)に聖観世音菩薩のご尊像が示現した際に最初に上陸した場所に建つお堂で、浅草寺発祥の霊地とされます。現在の堂宇は平成15年(2003年)に再建されており、縁日は毎月19日です。
浅草寺の支院・待乳山聖天、日本三大聖天のひとつ
浅草寺の支院のひとつ、待乳山聖天(まつちやましょうでん)は正式名を本龍院といい、浅草寺から隅田川沿いに北へ徒歩約10分の場所に位置します。標高約10mの小高い丘の上に伽藍を構え、創建は推古天皇3年(595年)とされる古刹です。
埼玉県熊谷市の妻沼聖天山・奈良県生駒市の生駒聖天と並ぶ「日本三大聖天」のひとつとして知られており、身体健全・夫婦和合・商売繁盛のご利益があるとして篤い信仰を集めています。
最大の特徴は「大根をお供えする」という独特の参拝作法です。境内各所に大根と巾着のモチーフが見られ、大根は身体健全・夫婦和合を、巾着は財福の功徳を表します。社務所でお供え用の大根が購入できます。
また「浴油祈祷(よくゆきとう)」という聖天さま独自の秘法が毎朝本堂で厳修されており、7日間の修法を依頼するとお札が授与されます。毎年1月7日の「大根まつり」では、正月中にお供えされた大根を調理した風呂吹き大根が御神酒とともに参拝者に振る舞われます。
浅草七福神めぐり、境内と周辺で7柱を巡る
浅草寺とその周辺には「浅草名所七福神」の巡礼コースが設けられており、浅草寺境内の影向堂(大黒天)・弁天山(弁財天)をはじめ、待乳山聖天(毘沙門天)など全9社寺を巡ることができます。主に正月に行われる巡礼ですが、通年でも御朱印が受け付けられています。境内だけでも複数の七福神に参拝できる点も、浅草寺が「神仏のデパート」たるゆえんです。
合わせて訪れたい周辺の観光スポット
浅草神社
浅草寺本堂の東隣に鎮座する浅草神社は、浅草寺ゆかりの3名(土師中知・檜前浜成・竹成)を祭神とする神社で、「三社様」とも呼ばれています。毎年5月に行われる「三社祭」は東京を代表する祭礼として知られ、勇壮な神輿渡御で境内と周辺が熱気に包まれます。
伝法院庭園
浅草寺の伝法院(法務院)に隣接する庭園で、江戸時代の大名庭園の趣を残す名庭です(公開時期は限定的なため事前確認が必要)。
かっぱ橋道具街
浅草から徒歩圏内のかっぱ橋道具街は、料理道具・食器・厨房機器などを扱う専門店が約170店舗集まる日本最大級の道具街です。食品サンプルや包丁などは旅みやげとしても人気があります。
東京スカイツリー(押上)

浅草から東武スカイツリーラインで1駅。高さ634mを誇る世界的な電波塔で、展望デッキからの東京の眺望は圧巻です。
周辺のおすすめ宿泊施設
浅草ビューホテル
浅草のランドマーク的なシティホテルで、つくばエクスプレス浅草駅に直結。高層階の客室から東京スカイツリーを一望できるほか、グリル・中華・和食を揃えるビュッフェレストランも充実しています。仲見世や浅草寺へのアクセスも良好で、観光拠点として定評があります。
OMO3浅草 by 星野リゾート
2023年7月にオープンした星野リゾートブランドのホテルで、東京メトロ銀座線浅草駅7番出口より徒歩約4分。浅草の文化や街の魅力を深く体験できる「ご近所探訪」サービスなど、街に溶け込むスタイルの宿泊体験が特徴です。
天然温泉 凌天の湯 御宿 野乃浅草別邸(ドーミーインチェーン)
2024年1月にオープンした全館畳敷きの和風プレミアムホテルで、ドーミーインチェーン系列の御宿 野乃ブランド。つくばエクスプレス浅草駅より徒歩約4分。浅草寺と花やしきの目と鼻の先に位置し、自家源泉の天然温泉黒湯大浴場とセルフロウリュサウナが人気で、ドーミーイン名物の夜鳴きそばや和朝食も楽しめます。
まとめ「神仏のデパート」を歩き尽くす浅草の旅へ

浅草寺は、1,400年の歴史を持つ東京最古の寺院です。ご本尊の聖観世音菩薩をはじめ、干支の守り本尊(影向堂)・薬師如来(薬師堂)・淡島明神(淡島堂)・銭塚地蔵(銭塚地蔵堂)・狸大使者(鎮護堂)・弁財天(弁天山)・日限地蔵(六角堂)と多彩な仏神が境内に共存する唯一無二の聖地です。日本の神仏習合の文化が今も息づくこの場所では、一度の参拝で複数のご利益を求めて境内を巡るという、江戸時代から受け継がれた参拝文化を体験することができます。
旅の行程に浅草を加える際は、ただ雷門を背景に写真を撮るだけにとどまらず、各堂宇を丁寧に巡りながら歴史と信仰の深みに触れる参拝をお楽しみください。浅草寺まで徒歩すぐの立地にある天然温泉 凌天の湯 御宿 野乃浅草別邸を拠点にすると、早朝参拝から夜の温泉まで、浅草を余すところなく満喫できます。
